さかもと未明の発言について via finalventの日記

今更ながらなんだが、これを読んだ時になんとなく違和感を抱いたので。
この頃ちょうど鴨川に来たばかりで日記を書いている暇など無かった。

で、さかもと未明のことはSPA!か何かで読んだのだが、なんつーか、くらたまにせよ、さかもと未明にせよ(別に本人たちに真似をしている心算などはないのだろうけど)西原理恵子の足元にも及ばない。面白いという人はいるのだろうし、文句なぞは言えないけど。着物着て島まで合コンに行ったのは面白いけど。

「こどもが結婚しないことに意見しない親は駄目な親か?」 わたしは、「駄目だと思う。なぜなら、やっぱり親としては、子供に対して自分たちが結婚してその子を作ったことを肯定してやってほしいから」

うーん…

わたしも「親を呪った」クチであったが、いろいろ回った挙句「親が生んでくれなかったら自分はいないわけだし」と、ちょっと前の自分だったらものすごく気持ち悪く感じそうなことを思うに至った。其れは別に親にわたしを作ったことを(「子を作る」って何か馴染まない表現だなあ。表現としては合ってるんだろうけど。)取り立てて肯定したわけではないし、死ぬなと泣いてすがられたわけでも(昔はあったけど)ない。今こうやって生きてるから否定されようが肯定されようが生きていくだけのことである。生きていくってのも変だ。息をしている限りは生きるんだろうし、決意なんかなくったって勝手に心臓は動く。

何で生んだんだ、ってのは昔っから思う人はいた。そのことに別に明確な答えなど出ないまま、なんとなく生きてそして死ぬ。それだけのこと。